無駄な時間を無くしたい!
『せっかくの余暇を無駄に使ってしまった!』
そう思うことありませんか?
私はめちゃくちゃ思います。そして、そのたびに後悔します。
今回は、時間を無駄にしない為には、どうするべきかを考えました。
そして、「一日のはじめに、その日の計画を立てる」
これを試してみたいと思いました。
なぜそう思ったのか。
まず私は、「時間を無駄にする」を定義づけしました。
そして、「意図せずに、目的無く時間が過ぎてしまうこと」を「時間を無駄にする」としました。
なぜ、このように定義づけしたのかというと。
まず、自分の生活を顧みました。
すると、自分が時間を無駄にしたと思う時は、やるべきことを後回しにして、スマホやテレビを見てしまうパターンが多いことに気がつきました。
そして、この「スマホやテレビを見てしまう」は、計画的な行動ではないので、時間を決めておらず、自分が飽きるまで終わりません。
気が付くと外が暗くなっているということはザラにあります。
そのせいで、やるべきことはいつまで経っても達成できません。
そのせいで、一日の満足度や充実感はなく、後悔をしてしまうことが多いのです。
このことから、意図せずに過ごす目的のない時間は、やるべきことを邪魔して、その日一日の満足度を下げることに気が付きました。
これを防ぐために、一日の初めにその日の計画を立てるべきだと思いました。
その日にやるべきことを整理し、優先順位を決めて、予定なども確認しながら時間配分を考える。
そして、決めた計画に沿って、優先順位の高いものから処理していき、余った時間で目的の無い時間を過ごすことで、一日の達成感や充実感を得られると思いました。
これを実践することで、時間を無駄にせずに過ごせるかどうかは、実際に試してみたいと思います。
早くもサラリーマンの洗礼を受ける
サラリーマンというものは、会社に雇われている立場なので、自分の希望通りにいかないことが多いのでしょう。
4月から働き始める新入社員も同様で、配属というものは会社の状況によって決まってしまい。
自分の希望通りに行く人もいれば、自分の希望が叶わない人もいるでしょう。
自分は後者で、本日会社から配属が言い渡され、残念ながら自分の第一希望の部署に行くことは出来ませんでした。
ショックでした。
なにせ、第一希望の部署にいけるだろうと思って、そのオフィスの近くの物件をWebサイトで探している時に、連絡が来たのですから。
私は、ラインで届いた配属先通知の文字をちゃんと確認し、自分の第一希望ではないことをしっかりと確認して、そっとWebサイトを閉じました。
母の偉大さの一端を知る
今日は朝から晩までバイトをして過ごしました。
少し前から、お昼休憩にお弁当を自分で作って持っていくようにしているのですが、
簡単なようでなかなか大変です。
お弁当を作るのは週に1回だけなので、なんとか続けることができていますが、
これを毎日している世の中のお母さん、お父さんは本当にすごいと思います。
中学、高校と当たり前のように食べていましたが、今となってはただただ感謝です。
一人暮らしやお弁当を作ってみて、家事の大変さや、それを毎日こなしている母の偉大さを知り。
働き始めると父の偉大さを知るのだろうと思います。
そして、子供ができて子育てをすると、両親の偉大さを知るのだろうと思います。
そうして父と母の凄さを感じながら、大人になっていくのだろうと思います。
ただ、自分が父や母の偉大さを感じながら成長できていることが、
本当に幸運だということを忘れないことも大事な気がします。
早くキャンプがしたい
私は「ゆるキャン」というアニメが好きでして、
「ゆるキャン」をきっかけにキャンプを始めたいと思っていました。
去年の7月に山梨と静岡へ聖地巡礼をして、キャンプしたい熱が一気に上昇!
一度、10月に日帰りでデイキャンプをしました。
デイキャンプも手軽で楽しかったのですが、周りの本格キャンパーさんを見て、自分もテント立てたり、本格的なキャンプがしたいと思いました。
そして、11月末に思い切ってテントやチェアなど基本的なキャンプ道具を買って、
「いざキャンプ!」と思っていたのですが、卒業論文があまり進んでいないことに気がつき、卒業論文を終わらしてから行くことに。
12月中に終わらしたかったのですが、間に合わず、新型コロナウイルスに感染したこともあって、1月の半ばまでは卒論を書いてました。
卒論も終わった!と思ったら、記録的な寒波が到来し、現在も肌寒い日々が続いております。
自分は寒いのが苦手ですし、初心者に気温が低い中での、初キャンプは難易度が高いだろうと、暖かくなるのを待っております。
キャンプがしたいのに、なかなかタイミングに恵まれない自分ですが、3月までには必ずキャンプに行きます!
節分の豆を食べ切れるのは何歳までなのか気になった。
今日は節分ということで、家で豆まきをした人も多いのではないでしょうか。
豆まきをした後には、年の数だけ豆を食べるという慣わしがありますが、
あの豆は何歳まで食べ切ることができるのでしょうか。
年をとればとるほど、食べる豆は増え。
年をとればとるほど、食べられる豆の数は減ります。
なぜ、年をとればとるほど、豆をたくさん食べないといけないのでしょうか?
特別たくさん食べれるほど美味しくはないのに…
因みに一人暮らしで豆まきをしても寂しいだけなので、一人暮らしを始めてから豆まきはしてません。
「鬼は外!福は内!」と家で一人で豆まきをしている自分を想像したら、
あまりにもシュールでした。
”人をダメにするクッション”+”コタツ”+”YouTube”=ダメになる
昨日、私は一日を無駄に過ごしました。
端的にいうと、ダラダラと1日中YouTubeを見て過ごしていたんです。
時々、誘惑に負けてダラダラと1日を過ごしてしまうのですが、その度に、「この時間があったら、もっと有意義な別のことに時間を費やせたのに」と勿体なさを感じて反省しています。
そして、その原因は、”人をダメにするクッション”と”コタツ”と”YouTube”です。
自分の意思の弱さが根底にあるのは前提ですが、この3つを組み合わせると、意思の弱さと相まって、ダメになってしまうのです。
それはなぜか。
まず、”人をダメにするクッション”です。
知ってる人も多いと思いますが、”人をダメにするクッション”はYogiboが有名だと思います。
大きなビーズのクッションで、座ると沈み込んで体を包むようになるので座り心地がいいし、自分の体制に合わせて形が変わるので、いろいろな体制で座ることができます。
この、”沈み込んで座り心地がいい”のと、”いろいろな体制で座れる”というのが厄介です。
座っている時のストレスが少ないので、長い間座っていられますし、沈み込むので立ち上がりにくい!つまり立ちたくなくなる、ずっと座ってしまうクッションなんです。(個人の感想です)
”人をダメにするクッション”とはよくいったものですね。本当にダメになってしまいます。
次に、コタツですが、最近寒波の影響で気温が低い日が続いていますよね。
自分は寒がりなので、寒さにめっぽう弱いのです。
なので、こたつに一度入ると出られなくなってしまいます。
さらに”人をダメにするクッション”と相まってそこから岩のように動かなくなってしまいます。
最後にYouTubeですが、特にショート動画が自分をダメにします。
ショート動画は短いので、すぐに結果がわかりますし、広告や好みじゃない動画はスワイプすればすぐに飛ばせるので、ストレスがかかりません。
そして、いろいろなジャンルの動画が無限に流れてくるので、飽きにくい。
つまり、一度見始めてしまったら、ずっと見続けてしまう、沼のようなコンテンツなんです。(個人の感想です)
そして、自分はよくこのショート動画をずっと見てしまって時間を無駄にしてしまうのですが、人によっては無駄に思わないかもしれません。
しかし自分は、ショート動画は目的なく、考えることもなく時間が過ぎてしまうので、ショート動画を見る時間は無駄に思えてしまうのです。
そして、何度反省し、やめようと思っても、やめられない。これは依存症です。
依存症とはおさらばしないといけません。
ちょうど自分は来年から新社会人なので、就職に伴い引っ越しをします。
その際には、少なくとも”人をダメにするクッション”と”コタツ”は処分して新居には持っていきません。
だから、”処分するまで堪能しよう”と思ってしまう自分はやっぱり反省していない。
話の上手な友達の記憶力が良い理由
話が上手な人で、「よくそんな昔のこと覚えてるね」という人いませんか?
私には高校時代の友達でとても話の上手な人がいます。
その友達は私が覚えていないような高校時代のエピソードをはっきりと覚えていて、
久しぶりに会った時は、無限にも思えるように、色々な高校時代のエピソードトークを聞かせてくれます。
「なんでそんな細かいところまでちゃんと覚えているのだろうか」と不思議でした。
単に記憶力が良いからだと思っていたのですが、それだけでは無かったのです。
彼は面白いエピソードが会った時に、誰かに話す習慣があるから、長い時間が経った後も覚えていられるのです。
人間の脳は2週間に3回使った情報は長期記憶になるらしいです。
自分の周りで面白い出来事があったら、
そのことを家に帰って家族に話す。
そして次の日、クラスメイトに同じ話をする。
放課後、部活のチームメイトに同じ話をするといった感じで、
2週間の間に何回も同じ話をすることで、面白い出来事の記憶が長期記憶に保存され、数年が経った今でも鮮明に覚えていられるというわけです。
自分が面白いエピソードトークを持っていない理由は、周りで面白いことが起きなかったから、記憶力が悪いからだと思っていました。
しかし、そうではなく、面白いことが起こった時に、誰かに話すという習慣がなかったからでした。
話す習慣は覚える習慣。
そのことを意識して、面白いことが起こった時には、自分の周りの人にたくさん話していきたいと思います。